コンシュ卿ラウール二世(ラルフ)・ド・トニー

Raoul II de Tosny (? - 1102)

ラウール二世はノルマンディーの貴族トニー家の一員であり、ロジャー一世・ド・トニーの子。コンシュ-アン-ウシュの領主。ノルマンディー・イングランド・ウェールズで活動した。

ヘイスティングスにて

”ウィリアム征服王の部将たち”(The Companions of William the Conqueror)として知られる、ヘイスティングスの戦いの参戦者の中でも確実な史料上で名前が明らかにされている一人である。

伝説の伝えるところによると、ラウール二世はウィリアム公爵の間近で戦うことができるようにするため、トニー家の世襲の職である旗手の役目をウォルター・ギファードへ譲ったという。

結婚

ラウール二世はシモン一世・ド・モンフォールの娘イザベラ・ド・モンフォールと結婚した。

エヴルー伯爵家とコンシュ卿ド・トニー家の家系

オーデリック・ヴィタリスが記録したところによると、エヴルー伯夫妻(ウィリアム・ド・エヴルー伯とその妻エルヴィス・ド・ヌベール)との間に諍いがあった。1091年から92年の間にウィリアム伯がコンシュを攻撃して戦が始まった。和解が成立し、後に彼らは協力して初代レスター伯ロバート・ド・ボーモンのムーラン伯領に攻め込んだ。

イングランドにて

ドームズディ・ブックの記録するところによるとラウール二世はイングランドで広大な所領を手に入れていた。ラウール二世は本拠地をハートフォードシャーのフラムステッドに置いた。ラウール二世はまたクリフォード城も支配した。レスターシャーのホース村はトニー家とベルヴォア城主の称号を帯びるノルマン人それぞれのものとして二つに分割された荘園であったと考えられた。

家族

ロベール・ド・スタフォード(スタフォード卿ロベール・ド・トニー)はラウール二世の弟である。

ラウール二世はノーサンブリア伯ワルセオフとジュディス・オブ・レンヌ(ウィリアム征服王の姪)の娘であるアリス・オブ・ハンティンドンと結婚した。

彼の二人目の息子がラウール四世・ド・コンシュで後継者となり、のちに初代ヘレフォード伯ウィリアム・フィッツオズバーンの娘と結婚した。

ラウール二世の娘ゴッドヒルデはイエルサレム王ボードワン一世・オブ・イエルサレム(ボローニュ伯ユスタシュ二世の子)と結婚した。

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