ノルマンディー公妃グンノールの一族(7)
ド・ボーモン家系

起源

ド・ボーモン家の祖とされているのは、ノルマンディー公領を成立させたロロの配下のデーン人ベルナールである。

ベルナールの子等については不明だが、のちにノルマンディーやイングランドで繁栄したアルクール家やボーモン家などの有力家門の祖となったのはベルナールの子孫とされるポン-オードメール卿トルフ・ル・リッシュであり、トルフの子のうち、ポン-オードメール卿を継いだソロルドの子孫がド・ボーモン家、弟のテュルクヴィル卿テュルケティルがド・アルクール(英:ハーコート)家の祖となる。

ソロルドの子ハンフリー・ド・ヴィリーズノルマンディー公爵リシャール一世の公妃グンノールの妹デュヴェリーナと結婚し、その間に生まれた子のボーモン・ル・ロジェ卿ロジェ・ド・ボーモンはムーラン伯爵ワレーラン三世の娘アデリーンと結婚した。

ロジェとアデリーンの間に生まれた子等は、ノルマンディー公爵家およびイングランド王家の重要な側近として、また、フランス王家やワレンヌ家などの有力家門と関係を深め、歴史上重要な役割を演じた。

ムーラン伯爵・ウースター伯爵系

ムーラン伯爵ワレーラン三世の跡を継いだヒュー二世には子が無く、ムーラン伯爵位は、甥でありロジェ・ド・ボーモンの子であるロバート(ロベール)・ド・ボーモンが継いだ。

ロバートはイングランド侵攻で活躍し、イングランドで広大な領地を与えられた。 彼はフランス王の姪エリザベス・ド・ヴェルマンドワと結婚し、三男六女を儲ける。

ロバートには双子の男児があり、一方のワレーラン(四世)がムーラン伯爵位と主にノルマンディーの領地を相続し、もう一方のロバートがレスター伯爵位と主にイングランドの領地を相続した。

ワレーランはウィリアム・クリトーの反乱でヘンリー一世王に叛いて投獄されたが、のちに復権した。

続くスティーブン王の治世下でも権力闘争に勝利して権勢を誇り、王の生まれたばかりの娘マティルダの婚約者としてウースター伯爵位を与えられた。(マティルダは4歳で死亡したため、持参金扱いのウースター伯爵位は次代に継がれなかった)

グロスター伯爵の反乱に始まる無政府時代を経てヘンリー二世が王位に就くと、自身の従兄弟にあたるフランス王ルイ七世に接近しがちだったワレーランは、イングランド宮廷での影響力を失った。

レスター伯爵系

ムーラン伯爵ロバートは、イヴォ・ド・グランメニルに十字軍遠征費用を貸し付けた際、担保としてレスターの領地を取得した。のち、ヘンリー一世王時代にレスター伯爵位を与えられる。

ロバートの双子の息子のもう一方で、イングランドの領地とレスター伯爵位を継いだ同名の息子ロバートは、ウィリアム・クリトーの反乱には参加せず、ヘンリー一世、スティーブン王を支持した(ただし、スティーブン王との関係は密接なものとはいえなかった。)

無政府時代の後、ロバートはヘンリー二世の信頼を獲得し、以後レスター伯爵ボーモン家は、1399年ヘンリー四世がクラレンス公を代わりに指名するまでイングランド王国の大家令の地位を世襲した。

ロバートの孫の代に男系が絶え、孫娘にあたるアミカ(アミシア)と結婚していたシモン・ド・モンフォール(モンフォール・ラモリー卿。レニエ家系統のモンフォール家)がレスター伯爵を継ぐ。

ウォリック伯爵・ヌーブール卿系

ロバートの弟ヘンリーはボーモン・ル・ロジェ近郊のル・ヌーブールを領地としていたが、イングランド王の支持者として栄達し、ウィリアム・ルーフス王のときウォリック伯爵位を与えられた。また、ヘンリー一世の支持者・側近でもあった。

ヘンリー一世の治世下、ヘンリー伯爵はガウアー(半島)、スウォンジーなど領地を与えられウェールズに勢力基盤を築いた。一方、ノルマンディーで(国王の)家令としての地位を与えられた息子達もあり、レスター伯爵家同様繁栄した。

フランス・メーヌの分流

935年頃生まれのラウール一世・ド・ボーモンを祖とし、メーヌ方面で活動した家系でド・ボーモン家の分家とする説があるが、系図上の分岐点は不明。

ド・ボーモン家の祖ベルナールの子らの名前が不明なのとラウール一世の生年、紋章のデザインの(ド・アルクール家との)類似性から、ベルナールの子のうちの一人の可能性が考えられるが、確証はない。

ボーモン准男爵、ボーモン男爵、ボーモン子爵

妻の権利によるメーヌのボーモン子爵兼ボーモン-シュル-サルトほかの卿ルイ・ド・ブリエンヌの長子であり、エルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌの孫にあたるヘンリー・ド・ボーモンは歴戦の軍人としてスコットランド独立戦争に従軍、1309/3/4エドワード二世のとき、ヘンリー・ド・ボーモン(エンリコ・ド・ベルモンテ)名義で議会に召喚されフォーキンガムのボーモン男爵位を創設した。

五代男爵ヘンリー・ボーモンの長子ジョン・ボーモンのとき君寵を得て1440年にボーモン子爵を与えられる。

1603年レスターシャー州長官でボーモン男爵家の子孫であるレスターシャーのコールオートンのヘンリー・ボーモン(父ニコラスもレスターシャー州長官を務めていた)が騎士に叙任され、その子トーマスが1619/9/17にカウンティ・オブ・レスターのコールオートンのボーモン准男爵、1622/5/20にカウンティ・オブ・ダブリンのスウォーズのボーモン子爵位を創設した。


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