デーン人ベルナール

Bernard The Dame (880 - 960)

”デーン人”ベルナールはデンマークに起源を持つヴァイキング領主(jarl)。 彼はセーヌ河口に勢力を張ったロロ(ノルマンディー公家の祖)に仕えた。

サン-クレール-シュル-エプテ条約後、正式にノルマンディー公爵領が成立し(ただし「ノルマンディー公爵」を正式に称するようになるのは後のリシャール二世から)、ベルナールは翌年ルーアンにてキリスト教に改宗し、そのすぐ後ロロより後にアルクールの街となるルモワ(現在のウール県)のポン-オードメール伯領を与えられた。

ロロの子で世子であるギョーム一世”長剣公”の下、ベルナールは930年代初めのアイユーフ某(ルーアンの公爵を包囲した西方のノルマン人)に率いられた反乱軍の鎮圧を命ぜられた。

935年頃ベルナールは、成立したばかりの公爵領として確定していたノルマンディー東部とは異なり、そこから完全に独立していたノルマン人集団によるベッシンとコタンタンの反乱を鎮圧した。

のち942年12月、ギョーム一世の暗殺による早過ぎる死により、ベルナールはオヌス・ド・ブリケベク、オズモンド・ド・コントヴィル、ラウール・ティソンらとともにノルマンディー公爵領の摂政となった。

945-946年ベルナールは、ノルマンディー公国がカロリング朝のルイ四世王とパリ伯ユーグ大公に攻撃された際、デンマーク王ハーラル一世”青歯王”に救援を求めた。

ルイ王は30年前ヴァイキングの一団に与えたノルマンディー西部の地を奪還しようと目論んでいた。

ベルナールは数年後死去した。

彼は二つのアングロノルマン領主の大氏族、ボーモン家とアルクール家の祖先と目されている。

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