”ノルマンディー公爵”リシャール一世

Duke of Normandy , Richard I of Normandy (933/8/28 – 996/11/20)

”無怖公”リシャール一世は”長剣公”ギョーム一世とスプロータの子であり、”徒歩公”ロロの孫にあたる。942/12/17、父のギョーム一世が暗殺された時点でリシャール一世は10歳だった。

母のスプロータはブリタニア人の捕虜・奴隷でギョーム一世の側妾として”デーン人式の結婚により結ばれた”とされる。このためキリスト教社会においてはリシャール一世は非嫡出子となる。

ただしノルマンディー公爵の称号を正式に使用し始めたのはリシャール一世の子リシャール二世から。年代記作者デュド・オブ・サンカンタンはその著作の中でリシャール一世を”公”と呼んでいるが、これは称号を指しているのではなく軍事指導者としての地位を指しているものと解される。ロロやギョーム一世は当時ルーアン伯爵またはノルマン人族長として知られていた。

ギョーム一世が息子の誕生を知らされたのは当時発生していた反乱を鎮圧した後であったが、リシャールの存在は父ギョーム公と初めて面会するまで数年秘密にされていた。当時ギョーム一世の正妻ルートガルド・ド・ヴェルマンドワ(ユーグ大公の姪)は18~20歳前後でまだ若かった。ギョーム公とルートガルド妃の間には結局子はなかった。

ギョーム公は面会後、リシャールを後継者として指名しバイユーを与えた。ギョーム公の死後、正妻ルートガルドはブロワ伯と再婚し、四人の子を儲けている。リシャールの母スプロータは裕福な製粉業者エスパレンの妻となりリシャールの半弟ロドルフ・オブ・イヴリーを産んだ。

ギョーム公がフランドル伯との和平会談の場で伯の部下に待ち伏せされて暗殺された後、西フランク王ルイ四世はノルマンディーを占領・分割して西半分をパリ伯ユーグ大公に与え、リシャールはポンテュー伯の監視下に置かれた。

ルイ王はリシャールをランに幽閉したが、オズモンド・ド・コントヴィール、ベルナルド・ド・サンリス(かってのロロ公の部下)、イヴォ・ド・ベレーム、デーン人ベルナルド(ハーコート家およびボーモン家の祖)らの協力により脱走に成功した。

946年リシャールはパリ伯ユーグと協力関係を結び(ルイ四世の即位を推進したのはユーグ大公であったが、この頃にはルイ四世とユーグ大公の間には軋轢が生じていた)し、また、他のノルマン人指導者等とも盟約を結んで勢力を整え、947年にはルイ王をルーアンから追い出してノルマンディーへの帰還を果たした。

962年ブロワ伯セオバルド一世(父ギョーム公の未亡人ルートガルドの再婚相手)がリシャールの本拠地ルーアンを攻撃したが、ノルマン人の反撃によりセーヌ川を渡る事なく撃退された。西フランク王ロテール(ルイ四世の子)は両者の戦いに介入し停戦させた。

その後、996年に没するまでリシャールはノルマンディー領内の統治に集中し、フランク王国内の政治や戦争への干渉を避けた。リシャールは拡張策による帝国建設よりも領内の安定化に注力し、公国の体制確立と強化へ家臣団を組み込んでいった。

リシャールは強力な同盟関係の構築のため婚姻政策を用いた。エマ(パリ伯ユーグ大公の娘)との結婚によりカペー家と関係を結んだ。また、西ノルマンディーのノルマン人勢力からグンノールを後妻に迎え、これら勢力との同盟関係も形成した。グンノールの姉妹らは後にノルマンディー公家に忠実な家臣団を形成していった。

ド・クレポン系(フィッツオズバーン/ド・ブルタイユ)、グレンヴィル家、エヴルー伯家は直系であり、ボーモン、モンゴメリー/ベレーム、ギファード、トニー、イヴリー、ド・クレア、ワレンヌ等、後代のノルマンディー公麾下の主要家系はほぼ縁戚関係を結んでいた。また周辺諸侯諸王家とも、ブルターニュ公、ブルゴーニュ伯、ブロワ伯、イングランド王家など広範に縁戚関係が構築された。

リシャールはまだ幼い頃にユーグ大公の娘エマと婚約し960年に正式に結婚したが、エマは968年に25歳で死去した。(12世紀の年代記作者ロベール・オブ・トリニーによると)エマの死後幾ばくも経たない頃、狩猟に出かけたリシャール公は地方の森番の家に滞在した。リシャール公は森番の妻センフリーダに一目ぼれしたが、彼女は既婚女性であり、リシャールは代わりとして彼女の未婚の妹グンノールとの関係を提案された。

グンノールは公の公妾となり、彼女の一族は栄達を得た。彼女の男兄弟であるアルファスト・ド・クレポンは異端審問に関係していたかもしれないと云う。

ただしグンノールおよびその親族については単なる森番とその家族ではなく、ノルマンディー西部クレポンの有力な家門で彼女自身も裕福な女性であったとする説もある。また信憑性の薄い伝承にはデンマーク王家の末裔というものもある。
グンノールは最終的にリシャールの正妻となり、少なくとも以下の子を為した。


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