1046 | バーガンディのガイ(ブリヨンヌの領主)が西方領主たちの反乱を扇動。フランス王アンリの支援で鎮圧。 |
1047/1 | ヴァル・エス・デュンヌの戦い |
1049 | ウィリアム、バーガンディのガイに与えていたブリヨンヌを奪回 |
1049 | ドンフロンでの戦いの最中アルク伯ウィリアム・タルーがウィリアム公への反逆を宣言し、アルクの自分の城へ戻って反乱の準備を始めた |
1049 | ランスの宗教会議にて教皇レオ九世がウィリアムとフランドル伯ボードワン五世の娘マチルダの結婚について禁止を宣言 |
1049 | ウィリアムの異父弟オド、バイユー司教に叙任 |
1050 | ウィリアム、ルーアンに再入城 |
1050 | ウィリアムの母エルルヴァ死去 |
1051 | ゴドウィン伯によるエドワード証聖王への反乱。エドワード王はマーシア伯、ノーサンブリア伯の協力を得てゴドウィン一族を追放した |
1052 | ウィリアム、イングランドへ渡航し、王位継承権を約束される |
1052 | スティガンドの協力を得てゴドウィン一族が復権。没収されていた所領を回復し、多数のノルマン人がイングランドから追放された |
1052-54 | アルク伯ウィリアム・タルーの敗戦とルーアン大司教モーガー(ウィリアム・タルーの兄弟)の追放(ウィリアム・タルーはブローニュ伯の元へ、モーガーはガーンジー諸島へ追放) |
1052 | フランス王アンリ一世が反ウィリアム派へ鞍替え |
1053 | ウィリアム、フランドル伯ボードワン五世の娘マチルダと結婚 |
1053 | ゴドウィン伯死去 |
1053 | ウィリアムの異父弟ロベール、モータン伯となる |
1054 | モルティメールの戦い |
1057-58 | フランス王アンリ一世とアンジュー伯ジョフリー連合軍、ノルマンディーに侵攻 |
1058 | フランス王アンリ一世、ウィリアムに攻略されたシマール城を包囲攻撃 |
1058 | スティガンドが正式にカンタベリー大司教と認められる |
1058 | マグナス(ノルウェー王ハロルド・ハルドラーダの子)がイングランドを襲撃 |
1059 | 教皇ニコラウス二世によりウィリアムとマチルダの結婚の禁止令が解除される |
1060 | フランス王アンリ一世没、フィリップ一世即位 |
1063 | ウィリアム、メーヌ征服 |
1064 | ハロルド・ゴドウィンソン、ノルマンディーを訪問 |
1064 | ウィリアム、ブルターニュ侵入 |