1036 | のちのイングランド王エドワードの弟アルフレッド王子、イングランドへ赴いて殺害される 王位請求のためノルマン人の傭兵を雇ってサセックスに上陸、その後行方不明~ゴドウィン伯が疑われる:1920年代にギルフォードの西でノルマン人とみられる数百人規模の兵士の遺骨が発見された。これらは縛られて処刑されていた。墓穴は1040年代とみられ、アルフレッドの護衛達だろうと考えられている |
1037 | ルーアン大司教ロベールが死去し、モーガー(ウィリアムの叔父)が就任 |
1040 | ラルフ・ド・ガセが黒幕となりウィリアムの暗殺が謀られ、エショフール近郊でウィリアムの後見人の一人ブリヨンヌ伯ギルバートが殺害された。犯人はラルフ・ド・ウェシー、ロベール・ド・ヴィトか。 |
1040/1041?冬 | ラ・ヴォードライユにてウィリアム暗殺未遂 ウィリアム公の家令兼顧問であるオズバーン・ド・クレポンはウィリアムの寝室で幼い公爵を護って暗殺者と戦い殺害された。彼の喉を切り裂いたのはロジャー・ド・モンゴメリー(オズバーンの従姉の夫)の子ウィリアムだという。部下のバーノン・ド・グロス・ラ・フェリエールが暗殺者を倒してオズバーンの仇をとった。 |
1041 | エドワード王子、異父弟のハーディカヌート(デンマーク・ノルウェー・イングランド王カヌートとエマの子、スヴェン一世の孫)に招かれて共同統治者となる |
1042 | ハーディカヌートが死去し、エドワード王子がイングランド王を継承、エドワード三世(証聖王)となる |
1043 | エドワード王即位式 |
1043 | ウィリアムおよびその相談役となっていたタルー伯ウィリアム、ルーアン大司教モーガーはラルフ・ド・ガセを説得して公爵へ臣従させた。 |
公爵に臣従したラルフ・ド・ガセは公爵の軍隊を指揮し、フランス王アンリ一世に味方してファレーズを占領していたタースタン・ル・ゴズを捕えて追放しアンリ一世を撤退させた。 | |
1045 | エドワード王、ゴドウィン伯の娘エディスと結婚 |
1045 | ランフランク、ベック修道院長となる |