エヴルー伯爵リチャード(リシャール)

Richard, Count of Évreux (? - 1067)

ウィリアム征服王のノルマンディー公爵時代初期からノルマン征服期におけるノルマン貴族の有力者の一人。

リチャードはルーアン大司教兼エヴルー伯爵ロベール二世とエルルヴァの長子であった。

エヴルー伯爵家とコンシュ卿ド・トニー家の家系

ロベール大司教の子リチャードは1038or1039/4/14付特許状によりエヴルーの粉挽き施設一式をジュミエージュ修道院に寄贈した。 ウィリアム征服王の特許状の中でリチャードがその修道院の後援者であることを認める言及があった。

リチャードとその妻ゴッドヒルデはサン-ソヴール-エヴルーを設立した。リチャードはエヴルー伯として1052or1066年にルーアンのサン-トリニティ(三位一体学寮?)へグラビニーの教会を寄贈した。また、都市の十分の一税をサン-タウリン修道院へ寄贈した。

1066/10/14のヘイスティングスの戦いにはリチャードも参加したと主張する学者があり、一方で彼自身の高齢やその翌年に死去したことからそれはありそうもないという主張もある。

彼の子ウィリアムは”ウィリアム征服王の部将たち”(The Companions of William the Conqueror)として知られる、ヘイスティングスの戦いの参戦者の中でも確実な史料上で名前が明らかにされている一人である。

ウィリアムはエヴルー伯としてイングランド侵攻軍に80隻の軍船を提供した。リチャードは1067年に死去した。

リチャードに代わって参戦したとするとその子ウィリアムは当時十歳未満となり、勝敗の見通しが定かではない戦争に送るには不自然さがあるのは事実。だが、ウィリアムの名前は参戦者として史料上明確に挙げられており、その様な幼児を代理に送らねば(封建制の)従軍義務を果たせないほどリチャードの状態が悪かった、という可能性もある。

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