ボードワン・フィッツギルバート

Baldwin FitzGilbert (died 1090)

ボードワン・フィッツギルバートはノルマンディーのカルヴァドスのムレまたはル・サプ近郊の出身。 ブリヨンヌ伯爵兼ウー伯爵ギルバートの子でリチャード・フィッツギルバートの弟である。

ド・クレア家とギファード家の略系図

1066年フィッツギルバート兄弟はノルマンディー公ギョーム二世(征服王ウィリアム)のイングランド侵攻に参加。 エクセターのサクソン人都市包囲戦に成功したのち、征服王はボードワンを新たにエクセターに築城するルージュモント城の城代およびデヴォンの州長官に指名した。ボードワンは終生この職にあった。エクセターの城は以降デヴォン州長官の公式の居城となった。またウィリアム王はデヴォンの広大なオークハンプトン封領をボードワンに与え、ボードワンはその地にオークハンプトン城を築いて本拠地とした。

1086年のドームズディ・ブックに記録され網羅されているデヴォンの176カ所の所領の、最初の二つを除く大部分はエクセターとバーンステープルの領主家だが、ボードワンの所領はその州で最大のものであった。

彼はドームズディ・ブックには文字通り訳すとデヴォン伯爵の代理を意味するノルマン称号の”ボードワン子爵”として記載されている。一方、ボードワンは一般的に”州長官ボードワン”として知られているため、デヴォン州長官を意味するアングロサクソンの役職であるアングロサクソン語の”デヴォン伯爵(Earl of Devon)”という意味のノルマン称号でも呼ばれた。

これらオークハンプトン封領を構成する所領は、のちにコートニー家の所領となり、またのちにプリンプトン男爵領とデヴォン伯爵領となった。

ボードワンは二度結婚し三人の男子と一ないし二人の女子を儲けたが、男子はすべて早世した。 彼は1090年に死去し、(男子三人は早世していたため)娘のアデライザが唯一の相続人となった。

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