コーンウォール公爵
Duke of Cornwall

コーンウォール公爵はイングランドで最初に創設された公爵位であり、エドワード三世の長子でウェールズ大公・アキテーヌ公となったエドワード・オブ・ウッドストック(通称エドワード黒太子。オブ・ウッドストックとは当時の習慣で王子が生まれた宮殿の所在地を採ったもの)

国王の生存する最年長の法定推定相続人である子息に対して与えられる王族公爵の称号で、後継者を残さずに公爵が死亡した場合は爵位は王権に吸収される(Merge in the Crown)

「法定推定相続人」(Heir apparent)とは相続順位が最上位で将来自分より上位の相続者が現れる可能性のない人のことを云う。被相続人に将来子供が生まれたら継承順位が下がる可能性のある相続人などは「推定相続人」(Heir/Heiress presumptive)となる。従って国王の法定推定相続人である、ということは王太子(邦訳では皇太子とされることが多い)であることを意味する。
また「子息」と限定されているため、女性や皇太孫(皇太子が息子を残して国王よりも先に亡くなるケース)にはこの称号は与えられない。

現在のコーンウォール公爵はウェールズ大公チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ(・マウントバッテン・ウィンザー)王子であり、チェスター伯爵(En)、ロスシー公爵(Sc)、キャリック伯爵(Ir)、レンフリュー男爵、諸島領主(Lord of Isles,Sc)、スコットランドの大家令、スコットランド大公。

エドワード黒太子早世後の創設

いささか紛らわしいが、最初のコーンウォール公爵エドワード黒太子が国王エドワード三世より先に死去した際、黒太子の子リチャード(後のリチャード二世)にコーンウォール公爵位が与えられた。

何が紛らわしいかといえば、こちらは称号名は同じでもエドワードに与えられた爵位を相続したのではなく、別個の称号を新規に与えられたことになるためである。

エドワードに与えられた(そして以後今日まで続く)コーンウォール公爵位の授与条件は前述の通り「国王の(1)生存する(2)最年長の(3)法定推定相続人である(4)子息」であり、リチャードは(1)(3)は満たすものの(2)(叔父達が健在)および(4)(子息ではなく、孫)を満たさないため、父の爵位を継承したとは言えないからである。

薔薇戦争期の合意令(Act of Accord 1460)による創設

1460年にヨーク公リチャード(エドワード四世の父)が合意令(Act of Accord 1460:「リチャードがヘンリー六世の王位継承権者であること、およびヘンリー六世の子エドワード王子が王位継承権から排除されること、リチャードに護国卿ほかの称号を認めること」を内容とする)をもとにコーンウォール公爵となった。
が、リチャードは「国王の最年長の子息」ではない、というかそもそも該当する条件がほとんどないのでこれもエドワード黒太子に与えられたコーンウォール公爵とは別の爵位、ということになる。

コーンウォール公爵領

コーンウォール公爵位には王権州(County palatin)という特権(無主物の帰属など)のある「公爵領」が付随する。このような公爵領としてはほかに「ランカスター公爵領」があるが、こちらは歴史的経緯で国王がランカスター公爵とされる(実際の管理は内閣の一員ランカスター公爵領大臣が行い、その収益は国王の私的な支出に充てられる)

1856年、大蔵省官吏ジョージ・ハリソンは「公領は王権州であり、治外法権」と主張し、認められた。
この点からコーンウォール公爵領は形式的には領邦君主(称号は王ではないがその領地における主権者)領と考えられる。

他の公爵位についていうと、王族公爵位はそもそも土地所有とは無関係(ウィリアム王子がケンブリッジ公爵を与えられても付随する領地などははなく、ケンブリッジとも名称以外縁はない)、王族以外の公爵位は爵位に伴う不動産が設定されていても(それも爵位名の土地とはあまり関係しない)あくまで公爵の個人資産であって、コーンウォール領のような王権州の特権は存在せず英国の法の支配下にある単なる財産としての不動産である。

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