ヨーク公爵
Duke of York

15世紀以降、英国王の第二男子に与えられた王族公爵位。スコットランド貴族におけるオルバニー公爵と同意義。
ヨーク公爵として八度、ヨーク・オルバニー公爵として三度創設されている。
現公爵はエリザベス二世の次男アンドルー・アルバート・クリスチャン・エドワード・マウントバッテン・ウィンザー王子。
従属称号はインヴァネス伯爵、キラニー男爵。

1461年に初代公爵の曾孫が国王エドワード四世として即位して以降、歴代十名のヨーク公爵がこの爵位を次代に継承できなかった(直系男子継承者がいなかった場合もあれば自身が即位して王冠にマージされた場合もある)ため、「この爵位は呪われている」という噂されたことがある。が、爵位消滅七回中に継嗣なしの断絶は一回のみ(有名な「塔の二王子」の一方)で後六回は自身が即位したものばかり。
なお、現在のヨーク公アンドルー王子は娘が二人だけのため、継嗣なしの断絶が一回増える見通しである。

第一期創設(1385/8/6~1461/3/4即位)

1385年エドワード三世の第五子エドマンド・オブ・ラングレーによる。
二代公爵エドワードが1415年アジャンクールの戦いで戦死すると公爵の弟第三代ケンブリッジ伯リチャード・コニスバラの子リチャード(公爵の甥)に継承された。
のちにリチャードの子のエドワードが爵位を継承したが1461年にエドワード四世として即位したため王冠にマージされ消滅した。

1415~1425年の間、リチャードの幼年を理由に一旦国王預かりとなっていた。また1459/12~1460/10/7の間は私権剥奪を宣告されていた。

第二期創設(1474/5/28~1483行方不明)

1474年エドワード四世の第二子で「塔の二王子」で有名なリチャード・オブ・シュルーズベリーにより創設。
叔父のグロスター公リチャード(のちのリチャード三世)によりロンドン塔に幽閉された後、継承者なく断絶(行方不明とも暗殺とも・・・歴史ミステリーの一大テーマ)。

第三期創設(1494/10/31~1509/4/21即位)

1494年ヘンリー七世の第二子ヘンリー・チューダーにより創設。
長兄ウェールズ大公アーサーが1502年に死去した。これによりヨーク公ヘンリーが王太子となり1509年ヘンリー八世として即位、爵位は王冠にマージされた。

第四期創設(1605/1/6~1625/3/27即位)

1605年ジェームスⅠ世の第二子チャールズ・スチュワートにより創設。
1612年に兄ウェールズ大公ヘンリー・フレドリックが死去したため王太子となり1625年にチャールズⅠ世として即位、爵位は王冠にマージされた。

第五期創設(1644/1/27~1685/2/6即位)

1644年チャールズⅠ世の第二子ジェームス・スチュワートにより創設された。
長兄の国王チャールズ二世が後継者なく死去するにあたりジェームズ二世として即位、公爵位は王冠にマージされた。

18世紀の間、ジャコバイトは(ジャコバイト貴族の)”ヨーク公爵”の称号がジェームズ二世の子で王位継承権者のジェームズ・フランシス・エドワード・スチュワートにより彼の第二子ヘンリーに授与されたと主張した。
ジェームズ・フランシス・エドワード・スチュワートは反対勢力から”老僭王”と呼ばれ、彼の子チャールズは”若僭王”と呼ばれた。
18世紀の間、ヨーク・オルバニー公爵位がグレート・ブリテン貴族として三度創設された。ヨーク・オルバニー公爵位を参照のこと。

第六期創設(1892/5/24~1910/5/6即位)

1892年のちにエドワード七世となるウェールズ大公アルバート・エドワードの長子クラレンス公アルバート・ヴィクターの死去を受け、アルバート・エドワードの第二子ジョージにより創設された。
のち、ジョージ五世として即位するにあたり王冠にマージされた。

第七期創設(1910/5/6~1920/6/5即位)

1920年ジョージ五世の第二子でのちの国王エドワード八世の弟アルバート王子により創設。
エドワード八世の退位(「王冠を賭けた恋」として有名)によりジョージ六世として即位するにあたり王冠にマージされた。

第八期創設(1986/7/23~現存)

1986年女王エリザベス二世の第二子アンドリュー王子により創設。
現時点で公爵には娘が二人いるのみであり、今後男子を得ることがなければ現公爵の死により断絶する見通し。

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