ランカスター公爵の創設は過去三度にわたって行われた。
最初の公爵位は国王ヘンリー三世の曾孫で第四代ランカスター伯・第四代レスター伯・初代ダービー伯・初代リンカーン伯・ボウランド卿ヘンリー・オブ・グロスモントによるものだが、1361年男子継承者なく死去したため廃絶した。(但し娘婿により同爵位名で再興し実質的に女系継承された。第二期創設参照)
二度目の創設は国王エドワード三世の四男で前公爵ヘンリー・オブ・グロスモントの娘婿となっていた初代リッチモンド伯ジョーン・オブ・ゴーントによる。
ジョン・オブ・ゴーントが死去するとその子初代ヘレフォード公ヘンリー・オブ・ボリンブログ(後の国王ヘンリー四世)が継承したが王位を国王リチャード二世から簒奪したため王冠にマージされて消滅した。
三度目はヘンリー四世(先代公爵)の王太子、ウェールズ大公ヘンリー・オブ・モンマスにより創設された。後にヘンリー五世として即位したため、この爵位は再び王冠にマージされたが(国王位に付随する称号となっていて消滅はしていない?)ランカスター公爵領は現在も存続し国王の私的な収入源となっている。
ランカシャーの公式な晩餐会や軍のランカスター連隊では国王への乾杯の唱和を”女王(陛下)、ランカスター公爵”で行い、また、20世紀後半まで賛歌(事実上の国歌)の一節を”おお神よ我らが慈悲深き女王を守りたまへ我らが気高き公爵(※他の地域ではここも女王となる)よとこしへにあれ”と歌うのが聴かれた。
ただし、これは単なる伝統であって法的に英国王がランカスター公を称する訳でも、またランカシャー王権州やランカスター公爵位が公的な権能を有する訳でもない。