二代シュールズベリー伯爵
ヒュー・オブ・モントゴメリー

Hugh of Montgomery, the Second Earl of Shrewsbury

二代シュールズベリー伯爵ヒュー・オブ・モントゴメリーは初代伯ロジャー二世の次子でイングランドの所領とシュールズベリー伯爵位を継承した。ノルマンディーの所領(および母方のベレーム家から継承したアランソン伯爵地)は兄のロベール・ド・ベレームが継承。ただしヒューの死後、ロベールがシュールズベリー伯爵位を継承している。

ヒューは1079年12月、実母メーベルが殺害された際に現場のビュール-シュル-ディーヴ城に居合わせ、犯人を追跡したが捕えることはできなかった。

1094年にロジャー二世が死去するとヒューはシュールズベリー伯爵としてイングランド(ほぼウェールズの領域にあった)の所領を継承した。

1095年、ウィリアム・ルーフス王に対してノルマンディー公ロベール二世”短袴公”を支持する陰謀にヒューも加わったが、1096年に賠償金3000ポンドを支払いウィリアム・ルーフス王から赦免を受けた。

四年間の伯爵在位期間中、ヒューはウェールズ国境地帯でのウェールズとの戦闘に明け暮れた。

1098年、ヒューは1094年のウェールズ反乱により失われていたアングルシー奪還戦において初代チェスター伯爵ヒュー・ダブランシュの援軍に赴いた。

同年7/31頃、ヒューはアングルシーでノルウェー王”裸足王”マグヌス・オラフソンと戦闘中、射殺され海中に転落した。幾つかの文献によると、その矢はマグヌス王自身が射ており、油断して浅瀬を騎乗して渡っていたヒュー伯の兜の眉庇の隙間から目に命中したものという。

ヒューは未婚であったためその死後、爵位・所領は兄ロベール・ド・ベレームが継承した。

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