トゥアール子爵エメリ四世

Aimery IV , viscount of Thouars (1024 - 1094)

1066年ウィリアム征服王のイングランド侵攻に参加したフランス貴族の一人。

エメリはジョフリー二世・オブ・トゥアールとアグネス・ド・ブロワ(ブロワ伯オド一世とベルタ・オブ・バーガンディの娘)の間の子である。

経歴

1055年エメリはアンジュー伯ジョフリー・マーテルと同盟してノルマンディー公ウィリアムに対抗し、ウィリアム公がメーヌ伯領との境界に築いたアンブリエール城の包囲戦に参加した。

1056年にトゥアールへ帰還したのち、スペインでイスラム勢と戦うアキテーヌ公の軍隊に合流。 バルバステロ包囲戦に参加し、多額の戦利品を故郷トゥアールへ持ち帰った。

1066年ウィリアム征服王のイングランド侵攻軍に参加。1066/10/14ヘイスティングスの戦いにおいてエメリはポワトゥー・ブルターニュ・アンジュー各地出身者の混成軍を指揮した。エメリ四世はイングランドに所領を獲得しなかったが、多額の報奨金を得てフランスへ帰った。

1080年エメリはトゥアールで白を再建した。エメリはラ・シューズ(ロシュ-シュル-ヨン)に城と聖ニコラスに仕える教会を建設し領主となった。

1090年初め、エメリはピエール・ド・モルターニュと戦い城を奪った。

トゥアール子爵エメリ四世は1093年に部下の二人の騎士に暗殺された。エメリはラ・シューズのサン-ニコラス教会に埋葬された。

結婚と子孫

1045年エメリはエルメンガード・ド・モレオン(1030-1070、ジョフリー・ド・モレオンの娘でラウール・ド・モレオンの妹)と結婚、以下の子を成した:

エルメンガードの死後、1070年にエメリはアメリーンと結婚し以下の子を成した:

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