四代レスター伯爵
ロバート・ド・ボーモン

Robert de Beaumont (? - 1204/10/21) , 4th Earl of Leicester

四代レスター伯爵ロバート・ド・ボーモンはド・ボーモン家(男系血統の)最後のレスター伯爵であった。

彼はしばしばロバート・フィッツパーネル(”ペトロニラの子ロバート”)と呼ばれることがある。

ロバートは三代レスター伯爵ロバート・ド・ボーモンと、ヒュー・ド・グランメニルの孫または曽孫であるペトロニラ・ド・グランメニルの間の長子である。

まだ若い頃、彼はリチャード一世王に従い第三回十字軍に参加し、十字軍部隊がシシリアのメッシーナで休養中の1191年初めにレスター伯爵の称号を帯びることとなった。(彼の父は聖地への途上で1190年に死去していた)

ロバートは新たにノルマンディー中央部の広大な領地を含む不動産を取得した。

彼はパシー、ポン-サン-ピエール、グランメニルの城も保有していた。

ロバート伯爵はブルタイユの広大な荘園の領主でもあったが、その地の一族の城は1173~74年の間の戦闘で解体されてしまっていた。

十字軍から帰還すると彼は、フランス王からノルマンディーを防衛することに集中、フランス王フィリップ二世の攻勢からルーアンを防衛した後、彼はパシー城を奪還しようと試みた。

結果として、彼はフランス王の軍勢に捕えられ、三年間に渡り虜囚となった。のち、ジョン王はロバートに新たにラドゥポンの城と領地を授与した。(ラドゥポン領はド・ヌーブール卿からペイ-ド-コーの領地と税収の見返りとしてジョン王に手に渡っていた)

1196年、ロバートは解放されると四代ブランバー卿ウィリアム・ド・ブローズの娘ロレッタ・ド・ブローズと結婚するも子供は得られず、1204年のロバートの死によりボーモン家の男系によるレスター伯爵家は断絶した。

彼の没年、ノルマンディーはフランスに敗戦した。ロバート伯爵は独自にフランス王フィリップと独自に協定を結ぼうとしていた。その協定の内容では、ノルマンディーの領地では彼はフランス王の臣下として、イングランドの領地ではイングランド王の臣下としてある、というものだった。

いずれにせよ、彼はその年の内に死去し、彼のイングランドの広大な領地は相続人である二人の妹の間で分割された。

姉のアミシアはフランスの領主シモン・ド・モンフォールと結婚していたが、彼らの子で同名のシモン・ド・モンフォールがレスター伯爵位並びに領地の半分を相続した。

妹のマーガレットはサエル・ド・クインシーと結婚しており、彼らは残り半分の領地を相続した。三年後、サエルはウィンチェスター伯爵を創設した。

ボーモン家系図5
スポンサードリンク