ノルマンディー公爵リシャール二世(-1026)の長子。母はブルターニュ公爵コナン一世の娘、ジュディス。
ノルマンディー公としては一年に満たない治世であった。 彼の治世は弟の反乱に始まり、原因不明の彼の死により終了した。
1020年頃、リシャールは父公爵の命で大軍を率い、シャロンのヒュー伯/司教に攻められた父公爵の義弟レジナルド(後のブルゴーニュ伯)の救援に赴き、ヒュー伯/司教を捕えてレジナルドに捕虜として引き渡した。
1026年8月にリシャール二世が死去すると長子としてリシャール三世がノルマンディー公位に就く。 公の弟イエモワ伯ロベール一世はノルマンディー国境の領地で不満を募らせ、兄に対して反乱を起こした。 ロベールはファレーズの町(イエモワの近隣)を包囲したが、すぐに逃げ出しリシャールに捕えられ忠誠の誓いを立てることで赦免された。
リシャールが原因不明の突然死したのは軍を解散しルーアンへ帰還しようとした途端だった。 公爵位は弟のロベール一世の元へ移った。
1027年1月フランス王ロベール二世の末娘アデラと結婚、結婚生活は半年ほどと短かった。アデラは後にフランドル伯ボールドウィン五世と再婚した(ウィリアム征服王の王妃マチルダの両親)。
wikipedia英語版「Richard III, Duke of Normandy」2015/5/26版では二人の間にコトンタン子爵ナイジェル(一世)・ド・ソヴァールと結婚したヘレナ、オズバーン・ギファードと結婚したアヴェリーナ・フィッツリチャードがいた、としているがさすがにそれは誤りであろう(半年で二人の子供はありえない)、一方妻のアデラの記述wikipedia英語版「Adele of France, Countess of Flanders」2015/1/28版では二人の間に子供はいなかった、としている。
また名前不詳の相手との間に、バイユー子爵ラヌルフの妻となったアリス、ルーアンの聖トゥアン修道院の修道士ニコラス(1092/2/26死去)の二子がいたとされる。