1057年
ヴァラヴィルの戦い

Battle of Varaville

ヴァラヴィルの戦いは、1057年ノルマンディー公爵ギョーム(以下ウィリアム公爵)とフランス王アンリ一世・アンジュー伯爵ジョフロワ・マーテルの間で行われた戦いである。

現在のヴァラヴィル付近

1057年8月、アンリ王とジョフロワ伯はバイユーとカーンを目指してノルマンディーへ侵攻した。侵攻軍の規模と構成は不明である。

侵攻軍は最初ノルマンディーのイエモア伯領に到着、二つの街を襲撃・略奪した。

直接主君に対峙することに消極的であったと思われるウィリアム公爵は、大軍をファレーズに集結させたが、侵攻軍の動きを報告させるための斥候を出す以外の行動を起こさなかった。

現在のファレーズ※ファレーズはイエモア伯領の中心地 ヴァラヴィルの戦いの地図

侵攻軍は、ヴァラヴィル付近のディーヴ川河口の浅瀬に至ると渡河を初めた。

しかし、まだ渡河が中途の時点で満潮により水位が増し、軍勢は二つに分断されてしまった。

ウィリアム公爵は時機を捉え、まだ渡河していなかった侵攻軍の半分を攻撃した。

のちに年代記作者が記したところでは、戦いは虐殺となっていた。

現代の歴史家は、意表を突く動きで動揺を誘う戦術についてのダヴィッド・ベイツの指摘のように、この戦いにおけるウィリアムの指揮能力を称賛している。

結果、侵攻軍はノルマンディーから速やかに駆逐された。

この戦いは、ウィリアム公爵の人生において、ノルマンディーが受けた最後の侵略行動ともなった。

アンリ王とジョフロワ伯を打破した後、ウィリアム公爵はその影響力をノルマンディー領から外へ向けて拡げ、1057年から1060年にかけてメーヌにおける権力を進展させた。

副次的な効果として、セー司教イブ(・ド・ベレーム)がアンジュー伯側からノルマンディー側へ寝返っていた。

翌1058年、ウィリアム公爵はアンリ王の領土に侵攻し、ウィリアム公爵幼少時に奪われていたティリエール城を取り返した。

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