グランサム伯爵
Earl of Grantham

1698/12/24、カウンティ・オブ・リンカーンのボストンのボストン子爵位およびカウンティ・オブ・リンカーンのアルフォードのアルフォード男爵位とともに、アンリ・ド・ナッサウ・ドウダーケルクにより創設。

この爵位には特別継承条件が付与されており、初代伯爵自身の直系男子およびその兄弟コーネリアス、モーリス、フランシスそれぞれの直系男子を継承権者としている。

初代伯爵の二人の息子も三人の弟も伯爵自身より先に死去したため、1754年初代伯爵の死により爵位は廃絶した。

初代伯爵

初代伯爵アンリはウィリアム三世王の親族でオレンジ-ナッサウ家の一員。オランダのオウダーケルク(英語ではオーバーカーク)の領主の地位を相続し、神聖ローマ帝国の伯爵でもあった。

オランダの将軍アンリ・ド・ナッサウ・ドウダーケルク(オーバーカーク卿)の子としてハーグに生まれ、1697/1/12従妹でオソリー伯爵の娘で二代オーモンド公爵の妹ヘンリエッタ・バトラーと結婚。1698年にボストン子爵・アルフォード男爵・グランサム伯爵に叙爵。

1715年のジャコバイト蜂起で最も悪名高い謀反人の一人の妹と結婚していたにも関わらず、1717年にジョージ一世はアンリを王太子の侍従長に指名。王太子が即位してジョージ二世となるとそのまま王室府侍従長となり、1737年に王妃カロリーヌが亡くなるまでその侍従長を務めた。

アンリは後にイングランド初の孤児院建設計画を推進、その慈善事業は1739/10/17に王室特許状を与えられ、グランサム伯爵は設立理事となった。

グランサム伯爵はウェストミンスターのアルベマール・ストリートに屋敷(現在は王立科学研究所の一部)とチズウィックにグローヴ・パークと呼ばれるカントリーハウスを有していた。

1754/12/5、グランサム伯爵は死去し、翌週ウェストミンスター、ピカデリーのセントジェームズ教会に埋葬された。

ドラマ『ダウントン・アビー』におけるグランサム伯爵

シナリオ作家のジュリアン・フェローズがグランサム伯爵(メインキャラクターのロバート・クロウリーの爵位。グレートブリテン伯爵として架空の創設がされている)の称号を劇中で使用。

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