国王(女王)の守護闘士
King(Queen)'s Champion

国王の即位式において盛装した大司馬と紋章院総裁に伴われ、完全武装で騎乗して戴冠式後のウェストミンスター・ホールでの祝宴に現れ挑戦を受けた。
ただし、この挑戦は純粋に儀式的なものである。
儀式の様子については戴冠式の記事を参照されたい。

国王の守護闘士の地位はウィリアム征服王の時代に初代タムワースのマーミオン男爵ロバート・マーミオンにタムワース荘・スクリーベルズビー荘とともに与えられたのが起源。
戴冠式における儀式は純粋に儀式目的だったが、ジャコビアンが活発であった17~18世紀には実際に挑戦を行った者がいたり、その噂がささやかれたりした。

この儀式は19世紀まで続いたがウィリアム四世以降戴冠式後の祝宴が行われなくなったため現在では見られない。儀式は行われていないが国王の守護闘士の職自体は現在も受け継がれており、戴冠式の出席者に含まれている。
1902年エドワード七世の即位時には請求裁判所に訴えを認められ、連合王国の旗手の地位が認められたが儀式は行われなかった(国王の急病で結局祝宴は中止された)

1377年五代ウィンターインガムのマーミオン男爵ロバート・マーミオンには男子継承者が無く、男系が途絶えた。リチャード二世の戴冠時、マーガレット・ラドロー(タムワースのマーミオン男爵フィリップ・マーミオン卿の娘ジョアンナ・マーミオンとトーマス・ラドロー卿の間に生まれた娘)と結婚していたジョン・ディモケが国王の守護闘士に任じられ、以降ディモケ家が国王の守護闘士の職を継承している。マーガレットはマーミオン家の長子家系としてスクリーベルズビー荘を継承していた。タムワース荘を継承していたボールドウィン・ド・フルビル卿から地位の請求がなされたがこれは拒絶された。

国王は対等の地位にある者を除いては何人とも決闘は行わない。
国王の守護闘士という地位が発生した背景はバーナード・コーンウェルの『小説アーサー王物語』(原書房 木原悦子訳)が示唆を与えてくれる。
この作品中では度々守護闘士による決闘の場面が描写されている。そういえば戦闘の決着、王の即位、神明裁判の各種ケースが効果的に含まれていた。
基本的にフィクションであるが古代ブリトン人の風習・習慣の描写には深い造詣を窺わせる内容となっているのでご一読されることをお勧めする。

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