中世馬事情(八) 輸送

中世を通じ、あらゆる階級と背景を持つ全ての人々にとって、長距離旅行は一般的なことであった。

上流階級の家政府と王の宮廷は、荘園や領地の間を移動して廻っていた。外交や戦争、十字軍遠征のため、男性は遠い国に赴いた。

僧侶は、教会や修道院の間を旅し、ローマへの使者として派遣された。

全ての階級の人々が、巡礼の旅に赴いたり、仕事を探して旅をした。他に娯楽として旅する者たちもいた。大部分の人々は小旅行には徒歩で、より長距離の旅には雇い馬を用いた。

上流階級の場合、旅は個人的な楽しみとともにその富を誇示するため、素晴らしい馬や大勢の従者、華やかな騎馬行列を伴って行われた。

例えば、1445年にイングランド王室は、王室厩舎に60頭の馬と186台の馬車を保有していた。

中世のほとんどの時期において、街道や橋が相互接続する様な構造はなかった。

ヨーロッパの一部にはまだ、ローマ帝国崩壊前に建設されたローマ街道の名残が残っていたところもあったが、大部分は長期にわたる荒廃に晒されていた。

不確かな道を長距離に渡って騎乗する必要のため、足取りの滑らかな馬が好まれた。トロットよりもむしろ、アンブルとして総称して知られる、四節の空間期の無い滑らかな歩様の一つができれば、普通の乗用馬であっても高価な値がつけられた。

(九)へ続く
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