中世馬事情(七) 軍馬の体格

軍馬の体格については、とある著名な歴史家が体高173~183cmの現代シャイア種と、同程度の体格があったと主張し、中世研究家の間で議論となっている。

体格についての議論には、実際的な理由がある。王立武器博物館に現存・所蔵されている馬用鎧を分析すると、それは本来152~163cm程度の現代でいえば狩猟用・乗用馬の体格に合わせた器具であったことが分かっている。

ロンドン博物館の文学的、図画的、考古学的証拠を用いた研究では、軍用馬はその強さや能力ではなく、大きさによって区別されており、その体高142~152cmであったと主張している。この平均値は、中世全体で大きく変化していない模様である。

馬は9~10世紀以来、大型化の為に品種改良され、ノルマン蹄鉄の研究や、バイユー・タペストリーの馬の描写から、11世紀までに平均的軍馬は、恐らく147~152cm程の体高になっていたと見られる。

馬輸送の研究によると、13世紀のデストライア種は体高152~157cm以下と、ずんぐりした体形であったことを示唆している。3世紀後でも軍馬は取り立てて大きくはない。

王立武器博物館では、15~16世紀の様々な馬鎧の展示用彫像のモデルとして、(それらの馬鎧に)体型が極めて適するという理由から、体高157cmのリトアニアン・ヘヴィ・ドラフト種の牝馬を使用している。

恐らく、中世の軍馬は輓馬種でなければならない、と広く信じられている理由の一つとして、中世の甲冑はとても重いという仮定を、まだ多くの人が信じているためと考えられる

実際には、馬上槍試合用の最も重い(騎士用の)鎧でさえ、せいぜい41kg程度であり、野戦用甲冑でも18~32kg程度である。

馬鎧は、戦争よりも馬上槍試合において一般的であり、32kgを超えることは稀だった。

馬にとっては、キュイルボイル(茹でて硬化させた革)や詰め物入りの馬衣の方がより一般的で、恐らく効果的でもあった。

馬が運ぶことのできる騎乗者とその他の装備の重さは、馬自身の重量のおよそ30%程度である。よって、上記積載物の重量は、540~590kg台の重量の乗用馬にとって運搬可能な負荷であり、輓馬(程の能力)は必要ではなかった。

歴史家の中には、大きな馬は武装した騎士を運ぶのには必要ではないが、槍の打撃力を増大するためには望ましかった、と考えている者もいる。

しかしながら、再現実験によると、重量よりも騎乗者の体重と強さの方が(槍の打撃力増加には)影響が大きく、馬の重量はほとんど槍(の打撃力)に変換されないということが判った。

また、鐙を使わずに完全武装の状態で、140~160cm程の軍馬に跳び乗ることができる、というのは騎士にとってプライドの問題であった。

これは虚栄心からではなく必要から生じていた。

もし戦闘中に落馬した場合、騎士は自ら騎乗することが出来なければ、著しく戦闘能力を落とすことになるからである。

実際には、もちろん、負傷したり疲弊した騎士にはそれは困難であるだろうし、護衛従士の助けを借りただろう。

ちなみに騎士の鎧は、どんな落下からも騎士を護るのに役立った。 編まれた長い髪は、詰め物入りのリネンの被り物の下に、緩衝となる様に頭頂にまとめられていた。その上に兜を被っていたため、現代の自転車用や乗馬用のヘルメット同様、頭部保護のクッションを形成した。

(八)へ続く
スポンサードリンク