中世馬事情(六) 軍馬の種類

最も高名な中世ヨーロッパの馬は、騎士を戦場に運んだことで知られるデストライア種である。

しかし、多くの騎士や重装騎兵たちは、コルセア種やラウンシー種として知られる、より小型の馬に騎乗していた。(中世軍馬の一般的な名称はチャージャーであり、他の名称でも表現された)

スペインでは、ジェネット種が軽騎兵用馬として用いられた。

牡馬は、その攻撃的で激しい気性の為、しばしば軍馬としてヨーロッパで用いられた。

13世紀の文学作品では、デストライア種が戦場で”噛みついたり蹴り上げたり”したことが記述されており、戦闘の狂乱の中で、しばしば軍馬同士の争いが見られた。

しかし、ヨーロッパにおける牝馬の利用は、参考文献では無視することができない。

西暦700年から15世紀を通じ、ヨーロッパ各国を侵略したイスラム勢力であるムーア人が、軍馬として牝馬を好んで使用した。牝馬はモンゴル人にも好まれた。

軍馬は、普通の乗用馬よりも高価であり、デストライア種はその中でも最も高価であったが、その姿形(の描写)は文献により様々だった。デストライア種は普通の馬の7倍から700倍の値が付いた。

ボヘミア王ヴァーツラフ二世は、1298年に”1000マルクの価値の”馬に乗っていた。

他の事例として、1265年のフランスの法令では、地主はラウンシー種に20マルク以上支払うことを禁じていた。

騎士は少なくとも一頭の軍馬(騎乗用または荷馬用として)を所有することが期待され、中世後期の記録には、戦争に二十四頭の馬を連れてきた騎士がいたことが残されている。標準的には五頭が普通だった。

(七)へ続く
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