中世馬事情(十五) 装具技術

特にプラウニング(耕起)その他の農作業分野において、馬装具の重要な発明となり、かつその利用と重要性が増大したのは首輪であった。

首輪は五世紀ごろ中国で発明され、九世紀ごろヨーロッパへ伝わり、十二世紀までにはヨーロッパ中に広く伝わっていた。

首輪の使用により、初期に使われた軛や胸懸といった方法を使用して乗り物をけん引した場合よりも、より大きな荷重がけん引可能となった。

軛は牛用に設計されていて、後半身の力を使うよりも肩部の力で引っ張る必要があり、馬の解剖学的構造に適さなかった。

この様な装具では、馬群はせいぜい500kg程度しかけん引することができなかった。

動物の首と胸に平たい帯をたすき掛けする胸当て形式の装具は、軽車両をけん引するには有用であったが、重労働にはほとんど使われなかった。これらの帯は馬の気管とスターノセフォリカスsterno-cephalicus筋を圧迫し、呼吸を制限して馬の牽引力を弱めた。

胸当て形式装具の二頭立てでけん引できるのは合計1100ポンド(500kg)が限界であった。

これとは対照的に、首輪は馬の肩に載っており、呼吸を妨げることはなかった。

肩で引っ張るのではなく、後半身で首輪を前へ推し進めることにより、馬はその能力を最大限発揮できるようになった。

首輪により、より高い耐久性と一日当たり稼働時間の増加、より高速な移動が可能となるため、馬一頭は牛一頭よりも提供できる労働力が倍加した

より効率的な装具を用いた馬は一頭で約1500ポンド(680kg)の荷重を牽引することができた。

さらに、牽き馬の配置を変更することにより改善が得られた。横並びに繋ぐよりも前後に繋ぐことで荷重が均一分散し、牽引力が増加したのだ。

馬の牽引力の増加は、トロワ(市街)の建設において、荷馬車屋が50マイル(80km)離れた採石場から石を運んだことで実証された。

馬車は平均で5500ポンド(2500kg)ほどの重さがあり、さらに通常その上に5500ポンドからしばしば8600ポンド(3900kg)となる石を積載した。これはローマ時代の積載荷重からみると大幅な増加である。

(十六)へ続く
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