中世馬事情(十三) 馬具の技術 鞍骨

鞍骨は、乗り手の重量から馬を保護した。

ローマ人は、おそらく紀元前一世紀には鞍骨を発明したと考えられており、その発明は紀元二世紀までに広範に伝播した。

再現されたローマの四角鞍

再現されたローマの四角鞍"4-horn design"

中世初期の鞍は、ローマ人の”四角”鞍に似ており、鐙を用いずに使用された。

鞍骨の開発は重要であった。馬の背に(鞍骨のある)鞍を置いて騎乗すると、乗り手の体重を分散し馬の背中の一部に(集中して)かかる荷重を軽減した。これにより、乗り心地を大きく改善し、(耐用年数という意味で)馬の寿命を延ばした。鞍骨全体に荷重を分散できれば、馬はより大きな荷重を運搬可能であった。

鞍骨の効果

鞍骨の効果

さらに、鞍に作り付けた座面により、騎手はより高い安全性を得られた。

12世紀以降、高座戦鞍は一般的になり、保護と安全が強化された。

鞍骨の盛り上がった鞍尾は、乗り手がより効果的に槍を使用できるようにした。

鞍の下には、しばしば馬衣(キャパリソンCaparison)や鞍敷きを着せた。これらは軍旗や紋章の柄で装飾や刺繍を施すことが出来た。

軍馬には、馬鎧Bardingと総称される装甲や、追加の覆い布、毛布が装備された。これらは装飾目的であるとともに、防御目的でもあった。

一般に馬上槍試合に限っていえば、初期の馬用装甲の形状は、トラッパー(飾り布)で覆われた、パッド入りの革製で特段重くは無かった。

鎖帷子や板金鎧も、時折使用された。12世紀後半に始まる馬鎧(”鉄の毛布”)についての文学的言及も存在する。

鞍骨により、鐙の利用も効果的になった。鐙は中国で開発され、西暦477年までに広範に伝播した。

7世紀までに、主としてアヴァールの様な中央アジアからの侵略者により、鐙がヨーロッパへもたらされ、8世紀までにはヨーロッパでも受け入れられた。

特に対歩兵の戦闘においては、騎士が落馬せずにより効果的に剣を振るう上で、他の利点の中でも鐙はより大きな安定と支持を乗り手に与えた。

(十四)へ続く
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