ノルマンディー公国の成立

時代背景

八世紀末から本格化したスカンジナビアの住人による東西フランク王国および地中海沿岸への侵略(ヴァイキング:「フィヨルドから来た者」という古ノルド語)が激しさを増す中、フランク王国がとった対策は消極的な先送り(時間的猶予を求めて貢納を約束するなど)や懐柔、キリスト教化による同化を期待することだった。

ライン、セーヌ、ロアールなどの大河の河口近辺やオークニー島やヘブリディーズ諸島などのスコットランド島嶼部、アイルランド沿岸にヴァイキングの根拠地が成立していった。ライン河口域には数十年程度の期間だったがノルマン人による国家領域が建設され、地中海域にもカラブリアやシシリアなどノルマン人の支配地域が成立していった。

ノルマン人のヴァイキングにフランク王国諸地域が蹂躙される中、パリ伯ウードが885~886年にパリ防衛を成功させたことは画期的な事件だった。

だが、パリ救援に赴いた西フランク王シャルル二世は戦後、敵対者であったノルマン人の一団にセーヌ川の航行権を与え(もともとパリ包囲戦が発生した原因だったので実質的には勝利というよりも妥協に近かった)、王に反抗的だったブルグンド族(ブルゴーニュ)の攻撃に協力させた上、報奨金の提供さえしていた。

パリ伯ウードは川にかけた橋の撤去を拒否して抵抗したが、ノルマン人たちは”船を担いで陸を渡る”ことでこれを回避する荒業をやってのけ、ブルグンドを侵略した帰途には行きと同様陸上輸送でパリを回避して帰還した。

ロベール家出身のウードはその後カロリング家出身者以外で初めての西フランク王に選ばれたが、その後継王位は再びカロリング家のシャルル三世に移った。この頃、西フランクの王は血統よりも有力諸侯・聖職者の選挙により選ばれるようになっていた。ウードの甥の子ユーグ・カペーはパリ公となり後にカペー朝の祖となる(ブルボン朝はカペー家の傍流なのでブルボン朝の祖ともいえる)

ロロ

ウード伯のパリ防衛は一応の勝利であったが、それは根本的な撃退ではなく依然としてセーヌ川河口両岸はヴァイキングの根拠地であった。

911年、ロロと称する巨漢に率いられたヴァイキングの一団がパリ西方のシャルトル攻撃に向かったことが一つの転機となった。

ロロの出自については、ノルウェー西部のムーレ伯爵(jarl、ムーレは現在のヴェストラン地方北部ムーレ・オ・ロムスダール県)でオークニー伯領成立に関与したログンヴァルドの子であるとするのが有力であるが、これには諸説(伝承)ある。 伝説的には、ノルウェー国内で働いた略奪の処罰として追放され、スコットランド島嶼部(ヘブリディーズ諸島)やアイルランド沿岸を荒らし回ったのち、セーヌ河口に至ったという。

そのロロが911年春、パリ西方のシャルトルを包囲した。フランス王の援軍がシャルトルに接近するとロロの軍勢はこれを迎え撃とうとして矛先を変えた。すると、籠城していたシャルトル司教の軍勢が出撃してロロ軍を背後から急襲し、挟撃される形となったロロの軍勢は敗走した。

サン・クレール・シュル・エプテ条約

年代記によるとフランス王の宮廷では、ヴァイキングの集団に占拠され旧来の住民の居なくなった地域のノルマン人による領有を承認するのと引き換えに彼らのキリスト教への集団改宗と沿岸防衛の責任を負担させる、というアイディアが既に検討されていた。 シャルトルの戦勝で有利な立場となっているこの機会ならば交渉の余地がある、と踏んだ単純王シャルル三世から会談の提案がなされサン・クレールのエプトの橋での会談が実現した。

集団改宗・占領地の保持の承認・沿岸防衛の負担に合意した後の最大の問題は封地授与の儀式だった。この儀式では、受封者による王の足への接吻が行われなければならず、その様な振る舞いを素直に行うノルマン人などいなかったためだ。ロロは部下に代理人を命じ、この部下は仕方なく儀式を代行したものの、激怒していたので跪いて接吻するのではなく、王の片足を掴んで逆さまに吊り上げて接吻をした(または、乱暴に王の足を掴んだのでシャルル王が椅子から転げ落ちた、ともいう)

とにもかくにもこうしてロロの率いるノルマン人はユール川からエプト川までの間の土地を領有することとなり、ノルマンディー公国の基礎が築かれた。ロロは条約締結の翌年キリスト教へ改宗、フランス王の庶出の王女を妻に迎え同輩中の第一人者からこの新たな領域の主権者・君主としての地位を固めていった。

フランス王の地位がカロリング家とロベール家の間で行ったり来たりする間、ノルマン人はその領域を拡張(西進)し続け、コタンタン半島を奪取した。更に後の代には、ブルターニュ公家との婚姻関係をもとに幼君の即位で弱体化したをブルターニュを保護国化した。のちに征服王と呼ばれるギョーム二世(イングランド王としてはウィリアム一世)の時代には南方のル・マン、メーヌを支配下に置いた。


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