バッキンガム公爵
Duke of Buckingham

第一期創設(1444/9/14~1521/5/17)

1444年第六代スタフォード伯ハンフリー・スタフォード(母系を辿ると国王エドワード三世の曾孫、グロスター公トーマス・オブ・ウッドストックの孫にあたる)により創設。爵位は孫でリチャード三世の即位に協力したヘンリー・スタフォードにより継承されたが後にリチャード三世に対して反乱を起こし処刑・爵位を剥奪された。
スタフォード家はド・トニー家の分流とされている(ヘイスティングスの戦いの参加者ラルフ二世・ド・トニーの弟ロバートがスタフォード城を与えられ、そこから家名を採った)
爵位名タイトルの紋章はスタフォード家のもの。

トニー家

ヘンリーの子エドワードは1485年ヘンリー七世の王権掌握の過程で爵位を回復したが1521年ヘンリー八世の首席顧問でエドワードの政敵であるトーマス・ウルジー枢機卿の讒言により反逆罪で処刑され、1523年死後に私権剥奪(爵位も剥奪)された。

第二期創設(1623/5/18~1687/4/16)

1623年ジェームス一世の寵臣バッキンガムのワッドンのワッドン男爵、ヴィリアーズ子爵、バッキンガム伯爵、バッキンガム侯爵ジョージ・ヴィリアーズにより創設(同時にコヴェントリー伯爵も叙爵)。初代公爵は対仏戦争中に暗殺され、子のジョージが爵位を継承した。

清教徒革命中は王党派として、王政復古後も英蘭戦争と国内での政争に活発に活動し浮沈を繰り返したが1687年継承者なく死去したため爵位は断絶した。

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