修道院への寄進

ノルマン征服期の記事には修道院の創設や寄進についての記述が多い。

この時代の前後、そうした修道院創設や寄進が歴史的現象として流行していたためだ。

なぜ領主たちはそんなに気前良くできたのか?(創設に際しても修道院運営の経済的基盤として所領の寄進が伴った。)

この点について、新潟大学大学院 田巻敦子氏の論稿「中世修道院寄進にみるランゴバルド構造とその源流(研究ノート)」(新潟大学大学院現代社会文化研究科「ヨーロッパの基層文化」プロジェクト:2011-3)(以下、田巻氏研究ノートと略記する)の修道院への寄進がどの様な形態で行われていたかの整理を基に表を作成した。

※上記田巻氏研究ノートでは修道院寄進という行為にゲルマン民族慣習法のランゴバルド(同価報償の観念:平たく言うと「カリは返せ」といったところか)の構造を読み取り、考察を展開している。機会があれば上記リンクより全文を一読されたい。

寄進の形態分類

形態説明
a施し

「<悔い改め>をするならば神から罪の赦しが与えられ、<施し>をするならば罪を償うことになる」(田巻氏研究ノートP.2)
キリスト教徒の『善行』としての寄進。

施しイメージ
b贖宥
indulgence

告解制度(罪の告白と償いにより赦しを得る宗教儀礼。俗にイメージする『ざんげ』)において、償いとして行われる寄進。

贖宥イメージ
c献納
dedication

天国に在る聖母・聖人に土地・財産を寄進して『神の僕(聖人)の財産』とすることにより、俗界聖界(教皇でさえも)など現世権力による侵害の排除を狙ったもの。

献納イメージ
d用益権留保付寄進

土地を寄進するにあたり、寄進者がその土地について用益権を留保(使用利用する権利を確保)して行うもの。寄進と同時に修道院側から寄進者へ土地の貸与が行われる(precaria oblate:用益権留保付寄進に基づく貸与地)ので、実態的に名義上の所有者変更となる(寄進者が引き続きその土地を終身利用し続ける。)

用益権付イメージ
e代理権付寄進

土地は修道院に寄進して名義上修道院のものとするが、寄進者またはその継承者を代理権personaの受取人とすることで、実質的に土地の継承と安全を図ったもの。代理権により実質的に所有者と同等となる。

代理権付イメージ
(f)負担付土地寄進※当ページ著者注)田巻氏研究ノートP.2-3の分類には列挙されていないが、P.16で言及されている形態。用益権留保付寄進形態のバリエーション。

「寄進者が修道院に対し自己の寄進地以外の修道院領、または寄進地と他の修道院領とを合わせて終身間用益することを条件として、自己の所有地を寄進する方法」(田巻氏研究ノートP.16)

負担付イメージ

上の表にまとめられた寄進形態の中で最も多かったのはdの用益権留保付寄進であった。
つまり、名義上は修道院の所領となるが実質的には寄進者が利用し続ける形態が多く修道院への寄進が俗人領主側の土地保全策であったとの指摘(ウォードJ.C.Wardら)が為されてきた所以であろう。

dの用益権留保とeの代理権との間の違いについては、用益権とは使用・利用する権利の事であり、その土地を処分(譲渡など)する権利を含まない。

一方、代理権は所有者の立場を代理して意思表示する権利であるから、使用・利用する権利はもとより、代理権者として処分を行う権限も含むと考えられる。まさに名義上だけ修道院のものとしている状態。

fの負担付土地寄進に至っては、寄進した土地以上の実権を得ているので、寄進者側の方が利益が大きくなっているとも云える。

修道院管理地の貸与形態変化

こうして修道院に寄進された土地は、513年の教皇の宣言以降、貸借に供することはできても譲渡処分はできなくなった。

田巻氏研究ノートでは、この修道院管理の土地の貸借を以下に分類している。

形態説明
1プレカリウム
precarium
修道士や(戦乱を避けて避難してきた)俗人に対してその生活の資として与えたもの。
2用益権留保付寄進に対する土地貸与用益権留保付寄進により、寄進と同時に貸与が行われる。
3負担付土地寄進に伴う土地貸与負担付土地寄進により、(寄進された土地以外で)寄進者に対して行われる貸与。
4(純然たる)貸借要するに、地主として単なる賃借を行う場合。

この貸借形態はのち(7世紀以降)に修道院法下でプレカリアprecariaに総合された。

プレカリアprecariaは契約であって以下の三種に分類される。(田巻氏研究ノートP.16)

分類名説明
precaria data「修道院の自由意志に基づくもの」
precaria oblata用益権留保付寄進に基づく貸与
precaria remunetatoria負担付土地寄進に基づく貸与

封建制への展開

「修道院領に行われたprecariaはカロリング王朝には、国王より臣下に対する土地給与法として一般に適用されるようになった」(田巻氏研究ノートP.17)

以降、9世紀に入ってから、これら国王からの授封、さらにそこから授封されたprecariaはbeneficiumと呼ばれ、区別される様になる。

田巻氏はこのbeneficiumが中世の封建制の発達に働いた、としている。

beneficiumuは与える者と受け取る者が共に生存する間有効だが、どちらか一方が死亡することで関係が消滅する。

与える側の代替わりではbenefisium継承を承認することで、また、受け取る側は父の受けた土地を再度与えられることで、世襲制が確立していったとする。

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