ルーカン伯爵
Earl of Lucan

ルーカン伯爵は、二つの互いに関係のあるアイルランド家系が保有したアイルランド貴族の称号であり、1691年と1795年の二度、創設された。

現在の称号保持者は、八代ルーカン伯爵ジョージ・ビンガム(1967/9/21生まれ)

従属称号として、1776年創設の「カウンティ・オブ・メイヨーのキャッスルバーのルーカン男爵」、1934年創設の「カウンティ・オブ・ドーセットのメルコム・ビンガムのビンガム男爵」を保有する。

(男爵位の)前者はアイルランド貴族として、後者は連合王国貴族としてであった。それゆえ、歴代ルーカン伯爵に貴族院での議席が与えられたのは、貴族代表議員選挙の実施が中止されてからだった。

ルーカン伯爵はさらに、1634/6/7にノバスコシア准男爵位として創設された「カウンティ・オブ・メイヨーのキャッスルバーのビンガム准男爵」の称号も有する。

第一期創設(1691~1719)

初代ルーカン伯爵パトリック

名誉革命時、王位を賭たオレンジ公ウィリアムと国王ジェームズ二世の戦いの中で、国王の上級アイルランド人将校の一人であるパトリック・サースフィールドが、1691年にルーカン伯爵位を創設した。

サースフィールドの息子ジェームズ・サースフィールドは1719年に後継者を残さず死去し、ルーカン伯爵位は廃絶した。

第二期創設(1795~)

パトリック・サースフィールドの又甥チャールズ・ビンガムが、1795年にルーカン伯爵位を新たに創設。

血縁ではあったが、新設した爵位であるため、チャールズ・ビンガムは通常、”第二期創設の”初代ルーカン伯爵と呼ばれる。

三代ルーカン伯爵ジョージ クリミア戦争で騎兵隊指揮官であった三代ルーカン伯爵ジョージが、不幸な「軽騎兵旅団の突撃」(1854年のバラクラヴァの戦いで、ロシア軍砲兵陣地へイギリス軽騎兵旅団が無謀な正面突撃を行い、大損害を出した攻撃)に関係者であったため、ルーカン伯爵の称号には悪評がついた。

1974年に七代伯爵が失踪すると、再び悪名高くなった。

1975年6月、伯爵の不在中に、検視官陪審は伯爵の子供の乳母サンドラ・リベットが殺害されていたのを発見した。伯爵は失踪後目撃されておらず、1999年10月に失踪宣告がなされた。

一族の本拠地は、カウンティ・メイヨーのゴーティーンラナー近郊キャッスルバーハウス、サリーのスペルソーン近郊レイルハムハウスである。

現当主ジョージ・ビンガムには子がないため、法定推定相続人はジョージの叔父ヒュー・ビンガムである。

2016年ジョージ伯爵はデンマーク人富豪の娘アン-ソフィー・フォスゴーと結婚した。

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