クロフォード伯爵
Earl of Crawford

クロフォード伯爵はグレートブリテンで現存する最古の称号の一つで、1398年デヴィッド・リンジー卿のためにスコットランド貴族として創設された。

この称号は非常に複雑な歴史を有している。ロバート二世王は、クロフォード伯爵の称号とともにクロフォード城を初代クロフォード伯爵デヴィッド・リンジーに与えた。

この称号は1542年に八代伯爵デヴィッド・リンジーが死去するまで大過なく初代伯爵の血統が続いていた。

八代伯爵には一人息子アレグザンダーがあったが、彼は「邪悪な主人 The Wicked Master」と呼ばれてしばしば父と口論し、かつ父の殺害を企てたりもした。アレグザンダーは罪により死刑を宣告され、八代伯爵は爵位を三代伯爵の子孫である従兄弟で同名のデヴィッド・リンジーへ譲り、アレグザンダーの血統を継承者から除外した。

しかしながら、九代伯爵は自身にも息子があったにもかかわらず、アレグザンダーの息子デヴィッドを後継者として指名した。

そして、1558年九代伯爵の死により、伯爵位は一族の本家筋へ戻る事となった。

九代伯爵は、十七代から二十二代の伯爵たちがそう呼ばれた様に、しばしば中継伯爵と呼ばれた。

十六代伯爵ルドビクの死にあたり、この称号は既にリンジー伯爵位を創設していた年上の従兄弟ジョンの下へ渡った。クロフォード伯爵位とリンジー伯爵位は二十二代伯爵が未婚のまま1808年に客死するまで一体となっていた。

二つの伯爵位は称号請求権を証明する人物が現れるまで停止された。

1843年、七代バルカレス伯爵ジェームズ・リンジーがクロフォード伯爵位に対する権利を主張した。

1848年貴族院はこの主張を認めた。

この請求権は、彼の息子であるリンジー卿の大規模な調査に基づいていた。

七代バルカレス伯爵の父である六代伯爵は(彼自身は権利を主張しなかったが)クロフォード伯爵位の正当な継承者とみられた。

それゆえ、六代バルカレス伯爵は死後に二十三代クロフォード伯爵として宣言され、その子七代バルカレス伯爵が二十四代クロフォード伯爵となった。

その後、この二つの伯爵位は一体として継承されている。

クロフォード伯爵位とバルカレス伯爵位の従属称号として、クロフォードのリンジー卿(1398年創設)、リンジー・ベルニール卿(1651年創設)、ヘーグホールのウィガン男爵(1826年創設)がある。

二つの伯爵位同様、二つの従属称号もスコットランド貴族の称号である。男爵位は連合王国貴族の爵位となる。

1963年貴族法が通過するまでは、クロフォード・バルカレス伯爵たちはヘーグホールのウィガン男爵位により貴族院に議席を確保できた。

現在の伯爵は、1974年に庶民院を離れた後父が死去する前までの間、彼自身に授与された一代貴族ベルニール男爵として貴族院に議席を有していた。

クロフォード伯爵はリンジー氏族の世襲氏族長(クランチーフ)である。

一族の居城はファイフのコリンズバーグにあるバルカレスハウスである。1940年代まで彼らはランカシャーのヘーグホールも居城としていた。

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