グラフトン公爵
Duke of Grafton

現公爵は十二代ヘンリー・フィッツロイ、従属称号としてユーストン伯爵、イプスウィッチ子爵、サドバリー男爵を有する。
初代公爵夫人の実家からアーリントン伯爵、セットフォード子爵、アーリントン男爵を継承したが九代男爵の姉妹たちの間で保留状態abeyanceとなっているが、1999年にアーリントン男爵には継承者が現れ、保留状態が終了した。

1675年チャールズ二世と公妾バーバラ・パーマーとの間の非嫡出子ヘンリー・フィッツロイにより創設。

1662年頃バーバラはセントオールバンズ伯の甥ヘンリー・ジャーミンとほとんど公然の関係を持っており、これがチャールズ二世がヘンリー・フィッツロイ(1663年生)の認知を渋った事情と云われている。
初代公爵はモンマス公の反乱鎮圧後、のちのマールバラ公爵ジョン・チャーチルと行動を共にするようになり、1688年の名誉革命ではチャーチルとともにジェームズ二世側から脱走してウィリアム三世側に寝返った。
1690年初代公爵は戦死。以後、爵位は継承され現在に至る。

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