グロスター公爵
Duke of Gloucester

イングランド貴族として四回、連合王国貴族として一回創設された王族公爵位。
現在の称号保持者はリチャード・アレクサンダー・ウォルター・ジョージ・ウィンザー王子。
従属称号として、アルスター伯爵、カロデン男爵を有する。
現公爵の継承者であるアレクサンダー・ウィンザーは儀礼称号としてアルスター伯を称する。
また、アルスター伯の子のザン・ウィンザーはカロデン卿を称する。

将来において現在のアルスター伯が公爵位を相続するとこの公爵位は王族公爵から「通常の」公爵位となる(見込み)。
これは1917年の勅(王族の称号、要するに王族の範囲の基本原則を示している)に従えば現在のアルスター伯は(特別に勅許状が出ない限り)王族の範囲から外れるため。

第一期創設(1385/8/6~1397/9/8)

エドワード三世の子トーマス・オブ・ウッドストックにより創設。
トーマスは甥の国王リチャード二世の側近と対立した訴追派貴族(Lords Appellant)の党首だった。
このため、のちにリチャード二世から反逆罪の容疑をかけられ暗殺された。
反逆罪の審理中であったため彼の子ハンフリーはグロスター公爵位を相続できず(のちに剥奪)バッキンガム伯爵位のみ相続を許され二年後に死去した。

第二期創設(1414/5/16~1447/2/28)

1414年ヘンリー四世の第四子ハンフリー・オブ・ランカスターにより創設。
ハンフリーと後妻エレノア・ド・コブハムとの間にアーサーとアンティゴネという二人の子があったが彼らが生まれたのは二人の結婚前であったため、私生児扱いで公爵位を継承できず公爵の死により断絶した。

第三期創設(1461~1483/6/22即位)

1461年ヨーク王家のエドワード四世の末弟リチャードにより創設されたが1483年リチャード三世として即位したため王冠にマージされた。
リチャードの死後、この称号を得たどの公爵も後継者を得られずに死亡したことで不吉な称号と考えらる様になり以降、150年ほど使用されなかった。

第四期創設(1659/5/13~1660/9/13)

次にこの称号を得たのはチャールズⅠ世の子ヘンリー・スチュワートであるが、彼の死により再び断絶した。

非公式呼称として

後のアン女王の子ウィリアム王子は生涯(1689~1700 享年11歳)にわたって”グロスター公爵”と呼ばれたがしかし正式な公爵位の創設は行われなかった。

ウェールズ大公フレドリックは1718~1726年の間”グロスター公爵”と呼ばれたが創設したのはグロスターではなくエディンバラ公爵位であった。

次に”グロスター”が爵位名として使用されたのはジョージ三世の兄弟ウィリアム・ヘンリーが複合名の”グロスター・エディンバラ公爵”となった際である。

第五期創設(1660/9/13~現存)

1928年ジョージ五世の子ヘンリー王子(現公爵の父)により創設。

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