クリーヴランド公爵
Duke of Cleveland

第一期創設 (1670/8/3~1774/5/18)

1670年チャールズ二世の公妾バーバラ・パーマーにより創設。特別継承権によりチャールズ二世の非嫡出子である長子チャールズ・フィッツロイとその男子承継者、第三子ジョージ・フィッツロイ(のちに初代ノーサンバーランド公爵)による継承を認められていた。

二代公爵チャールズは別途サウサンプトン公爵位を叙爵されていたがその子で三代公爵ウィリアムは継承者がなかった(第二子ヘンリーのグラフトン公家には相続権が認められなかった)ためその死去により爵位は断絶した。

第二期創設 (1833/1/29~1891/8/21)

1833年第一期二代公爵の曾孫(二代公爵の娘グレース・フィッツロイの孫)で第三代ダーリントン伯・初代クリーヴランド侯爵ウィリアム・ハリー・ヴェーンにより創設。

初代公爵の死後、その息子たちが順に継承していたが1864年に四代(三男)ハリー・ジョージ・ポウレットが爵位を継承するにあたり勅許を得て母方の姓であるポウレットへ改姓した。公爵には子が無く、その死によりダラム・カウンティのバーナード城のバーナード男爵位(遠戚のヘンリー・ヴェーンが継承)を除く爵位は断絶した。

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