クラレレンス公爵
Duke of Clarence

王族公爵に与えられる称号としてイングランド時代に三度創設された。爵位名は最初の公爵の所領(妻の実家ド・クレア家から受け継いだ)があったサフォークのクレアの都市名に因むと云われている。

第一期創設 (1362/11/13~1368/10/17)

最初の創設は1362年エドワード三世の第二子ライオネル・オブ・アントワープによる。後継者がなかった(娘が一人だけだった)ため公爵の死により断絶した。

第二期創設 (1412/7/2~1421/3/22)

二度目の創設は1412年ヘンリー四世の第二子トーマス・オブ・ランカスターによる。
トーマスはマーガレット・ホランド(初代サマーセット伯ジョン・ボーフォートの未亡人で第二代ケント伯トーマス・ホランドの娘)と結婚したが、彼女との間には子供が無かった(マーガレット自身には前夫との間に六人の子があったが)
他方でジョン・クラレンス卿という子があったが私生児のため継承権がなかった。このため後継者がなく公爵の死により断絶した。

第三期創設 (1461/6~1478/2/18剥奪)

イングランド貴族のクラレンス公爵として最後になる創設は薔薇戦争期の1461年ヨーク家のエドワード四世の弟ジョージ・プランタジネットによる。ジョージは1478年反逆罪に問われ処刑され、爵位は剥奪された。シェークスピアの「リチャード三世」ではマームジーワインの酒樽で溺死した、というエピソードで有名。

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